両面宿儺(りょめんすくな)像と限定御朱印を求め岐阜県関市の日龍峯寺(にちりゅうぶじ)へ

マンガ呪術廻戦で有名となった両面宿儺(りょうめんすくな)。岐阜県関市の大日山日龍峯寺わ(にちりゅうぶじ)では年に1度、11月の第3日曜に御開扉されます。

年に1度だけ両面宿儺(りょうめんすくな)像を見ることができる、ってことですね。

両面宿儺(りょうめんすくな)像だけでなく、岐阜県下最古の寺といわれる日龍峯寺(にちりゅうぶじ)には見どころがたくさんあります。

2021年11月21日に訪問した際の写真などをアップします。また、日龍峯寺(にちりゅうぶじ)での注意点についても書きますので、参考としてください。

目次から見たい画像まで飛ぶことができるよ

日龍峯寺(にちりゅうぶじ)で撮った写真

日龍峯寺(にちりゅうぶじ)本堂 岐阜県指定重要文化財

両面宿儺(りょめんすくな)岐阜県関市の日龍峯寺(にちりゅうぶじ)の本堂

日龍峯寺本堂

本堂本尊千手觀音菩薩

本堂五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩上に建立 す。前方は舞台造りで京都の清水寺によく似ており、美濃清 水の異名で世に知られている。 鎌倉尼将軍北条政子寄進の本堂は惜しくも応仁文明の乱により戦火の犠牲となり焼失し現在の本堂は寛文十年(江戸時代)の建造物である。

本堂内

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ本堂の天井

千手観音菩薩

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ本堂の千手観音菩薩

両面宿儺像

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ 両面宿儺りょうめんすくな

弘法大師

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ 弘法大師こうぼうたいし

日龍峯寺龍堂

岐阜県関市の日龍峯寺(にちりゅうぶじ)日龍峯寺龍堂
カフェでした

霊水 宝篋印塔(れいすい ほうきょういんとう)

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ 霊水 宝篋印塔れいすい ほうきょういんとう

霊水 (宝篋印塔 ほうきょういんとう)

1333年建立

みたらしの霊水は本堂裏の洞窟より湧き出ている。 眼病、ぼけ封じ、子宝、病気平癒に特に効くと云われる。 又、中には県重文に指定された源頼朝を分骨埋葬したといわれる宝篋印塔 がある。

霊木 千本桧(れいぼく せんぼんひのき)

岐阜県関市の日龍峯寺にちりゅうぶじ 霊木 千本桧れいぼく せんぼんひのき

霊木千本桧

両面宿儺が登山の折杖として使用された桧杖が千本の枝葉群立し往時の面影を偲ぶ稀に見る雲木である。

多宝塔(たほうとう)国指定重要文化財

岐阜県関市の日龍峯寺(にちりゅうぶじ)多宝塔(たほうとう)国指定重要文化財

多宝塔

国指定重要文化財

鎌倉尼将軍 (北条政子)の御代天下大いに早して五穀稔らず公成夜の夢想に何処からともなく神龍飛来 「日龍峯寺に池 あり法華経を書写し供養して彼の池に入れば多雨たちまち降りなん」と云って池に飛入するを見て夢さめり。 尼公は道運と云 へる沙門に命じ法華経十部を書写し供養して池に入れ祈り給ふ、即怨にして霊雨あり五穀実るとその謝礼として将軍家より荒廃しつつある七堂伽藍残りなく再興され寺領として八拾町歩の所領を給ふ。

この多宝塔は将軍家建立になる唯一の建造物で明治二十七年国特別保護建造物指定、昭和二十五年重要文化財指定となり鎌倉時代を代表する全国屈指の建造物であり約八百年を経過した文化的遺構である。

日龍峯寺での注意

日龍峯寺に行こうと考えている人へ、いくつか気をつけることをお知らせします。

日龍峯寺に行くまでの道が狭い

私は日龍峯寺へ行くのに表参道を使用しました。

基本的に道は狭いです。距離で約3キロ狭い道が続きます。

対向車が来たときは、ところどころにある待避所を活用してください。大型車で行く人は気をつけて。

また、ヘッドライトも付けて対向車にアピールすることもおすすめします。

日龍峯寺本堂内での撮影について

本堂内での撮影、千手観音菩薩や弘法大師、両面宿儺像などを撮影する際はフラッシュ禁止。

当たり前のことだと思いますが、うっかりフラッシュ設定になっているかもしれないので撮影前に必ず確認しましょう。

日龍峯寺とは

自然の幽境
重要文化財

日龍峯寺

寺伝によると岐阜県下最古の寺で、大日山日龍峯寺と称し美濃西国三十三ヶ所一番札所の観音霊場である。俗に高澤観音と称し本尊千手観音菩薩は商売繁盛家内安全、安産子授けなどでよく知られ、 毎月第三日曜の本尊命日には善男善女の参詣も多く盛況を呈している。この寺は海抜283m高澤山の山頂に位置しこの山より眺める飛弾、美濃、伊吹、養老の連山は限りなく美しく数百坪に及ぶ境内は古木鬱蒼とり自然の幽境観音霊地にふさわしい天下の景勝地である。

春は桜、山つづじ、夏は蛍狩り、津保川の鮎の友釣り、秋は紅葉、味覚の栗、松茸と自然豊な名所であり、高澤山山頂より奥長良美濃市に至る尾根の山道は総理府指定のハイキングコースで憩いの場として推奨し得る稀に見る霊峰である。

寺の開創

両面宿儺伝承の寺

寺伝によると仁徳天皇の時代(五世紀前半) 飛騨の国に 両面宿儺(りょうめんすくな) という豪族がいました。 両面宿は当地の豪族として権勢を誇っていた。 この異人天皇のに達し都に上り、 御対面した。 その帰り、 美濃加茂野ヶ原で休憩していると、どこからともなく鳩二羽が不思議なさえずりをなして、高沢の峰に飛び去った。異人不思議に思い里人に尋ねると、「高沢の山脈に池あり、 神龍住みて近郊の村人に危害を及ぼす』と聞き、 はるかの峰に登り大悲の陀羅尼を唱え神龍を退散させこの峰に寺を開創したという。

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